皆様こんにちは!
Lewis Abe(ルイス アベ)です。
第5回目の今回は日露戦争で連合艦隊司令長官として指揮を執った東郷平八郎をご紹介したいと思います。
東郷平八郎(とうごう へいはちろう)
[1848年1月27日(弘化4年12月22日)-1934年(昭和9年)5月30日 86歳没]
生い立ち
弘化4年12月22日(1848年1月27日)、薩摩藩士の東郷実友の四男として生まれる。幼名は仲五郎といい、14歳の時に元服して平八郎実良と名乗る。
ちなみに元服とは、奈良時代以降の日本で成人を示すものとして行われた儀式。通過儀礼の一つです。
日露戦争
1904年2月10日からの日露戦争では、旗艦「三笠」に座乗してロシア海軍太平洋艦隊の基地である旅順港の攻撃や黄海海戦をはじめとする海軍の作戦全般を指揮する。同年6月6日には大将に昇進する。1905年5月27日、ヨーロッパから極東へ向けて回航してきたロジェストヴェンスキー提督率いるロシアのバルチック艦隊(※1)を迎撃する。東郷は敵前で大回頭を行うという大胆な指示を出し、海戦に勝利を納めた。この回頭は「トウゴウ・ターン」(※2)と称された。この海戦における勝利は、東郷の名とともにロシアのバルチック艦隊の壊滅的敗北が世界中に伝えられる。当時ロシアの圧力に苦しんでいたオスマン帝国(※3)においても自国の勝利のように喜ばれ、東郷は同国の国民的英雄になった。
※1:ロシア第二・第三太平洋艦隊、旗艦「クニャージ・スヴォーロフ」
※2:連合艦隊司令長官東郷平八郎による丁字戦法の一つ。
※3:現在のトルコ共和国
日露戦争後
1905年から1909年まで海軍軍令部長、東宮御学問所総裁を歴任。1906年、日露戦争の攻により大勲位菊花大綬章(※4)と功一級金鵄勲章(※5)を授与される。1907年には伯爵を授爵。1911年には英国ジョージ五世の戴冠式に出席する東伏見宮依仁親王(※6)に乃木希典(※7)と共に随行。1913年4月には元帥府(※8)に列せられ、天皇の御前での杖の使用を許される。1926年に大勲位菊花章頸飾(※9)を受章。当時の頸飾受章者は皇太子の裕仁親王(※10)と閑院宮載仁親王(※11)だけだった。
※4:日本の勲章の一つで1876年12月27日に制定。最高位である大勲位菊花章頸飾に次ぐ勲章。
※5:日本の勲章の一つ。日本唯一の武人勲章とされ、武功のあった陸海軍(陸軍・海軍)の軍人および軍属に与えられた。金鵄章ともいう。
※6:日本の皇族、海軍軍人で伏見宮邦家親王第17王子。
※7:日本の陸軍軍人、教育者である。
※8:第2次世界大戦終戦以前の日本に存在した天皇の軍事部門における最高顧問集団のこと。
※9:日本の勲章の一つで最高位に位置する。
※10:昭和天皇のこと。
※11:日本の皇族、陸軍軍人。伏見宮邦家親王第16王子で後継のいなくなった閑院宮の後を継ぎ第6代当主となる。
最期
1934年5月30日、喉頭癌、膀胱結石、神経痛、気管支炎の悪化のため満86歳で薨去。6月5日に国葬が執り行われた。当時のイギリスでは「東洋のネルソン(※12)提督が亡くなった。」、ドイツは「東洋のティルピッツ(※13)が逝去した。」と自国の海軍の父的人物に準えて、哀悼した。
※12:アメリカ独立戦争・ナポレオン戦争などで活躍したイギリス海軍提督。
※13:ドイツの海軍軍人、政治家である。ドイツ帝国海軍元帥。
今回はここまででーす!!
文章:Lewis Abe(ルイス アベ)
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